研究会の歴史
昭和53年10月12日 福岡からライオンズが消滅
昭和54年(1979)
7月1日 西鉄ライオンズ研究会 発会式(三井アーバンホテル新橋)
会長 副会長 幹事選任 関西支部開設
7月9日 西鉄ライオンズOB対ニューヤンキース(女子野球)の試合応援(平和台球場)
西鉄ライオンズ研究会九州支部開設
8月1日 西鉄ライオンズ研究会としての最初の声明文を発表
平和台球場を本拠地とするプロ野球球団の設立
西鉄ライオンズの歴史を語り継ぐ
ライオンズの名称を九州へ返還要求
8月13日 西日本新聞の論説委員長(当時)の益田憲吉氏の人気コラム「くるま座」に投稿
「西鉄ライオンズ研究会」として紹介さる
昭和55年(1980)
6月1日 画像を拡大>>> 機関紙「西鉄ライオンズ研究会」発行
出版社、放送局などのマスコミにも発送 大反響を呼ぶ
12月17日 NHK福岡放送局のラジオマラソン「師走の街にこんにちは」の中継放送に秋武、内山、土屋の3名で参加
西鉄ライオンズOBの今久留主、野口、河野、島原、河村、西村、米山の各氏と島原さんの奥さんの店「こなこな」から 西鉄ライオンズの時代の思い出話とともに 福岡を本拠地とするプロ野球球団が欲しい、福岡ライオンズを作ろうという話で盛り上がる
昭和56年(1981)
7月23日 RKB創立30周年記念ラジオまつり
西鉄ライオンズOB会VS松山千春・スーパースターズの野球試合を応援(平和台球場)
昭和57年(1982)
3月12日 画像を拡大>>> 平和台球場でのオープン戦 近鉄対西武戦に合わせ球場前で新球団の設立、ライオンズの名称返還を求めるビラを配布
4月4日 プロ野球の開幕に合わせ福岡 天神にて二度目のビラ配布を実行
朝日新聞全国版スポーツ面に写真入で掲載される
5月24日 福岡 天神にて三度目のビラを配布 三回の新球団設立、ライオンズの名称返還の呼びかけで配ったビラは約18,000枚
毎回新聞等に大きく取り上げられ大反響を呼び、「西鉄ライオンズ研究会」の存在と運動意義が認知された。
5月21日 竹之内雅史選手が現役引退を発表
西鉄ライオンズ研究会は勇姿と記録を焼き付けた引退記念の銅盾を製作
12月、自宅に届ける
昭和58年(1983)
画像を拡大>>> 西鉄ライオンズ黄金時代の名場面、選手の表情など写した写真16枚を使ったカレンダー「永遠の王者 西鉄ライオンズ」を制作
全国に発売 北海道から沖縄まで各地より注文が殺到 西鉄ライオンズの人気が全国で高いことが証明される
また、カレンダーの最終ページに我々がまとめた西鉄ライオンズ歴代背番号一覧表を載せて好評だった
11月19日 後楽園球場で行われた「プロ野球夢のオールスターOB戦」に40数名で西鉄ライオンズOBに声援を送る
12月15日 「プロ野球夢のオールスターOB戦」での西鉄ライオンズOBの活躍や勇姿、 それに応援風景を特集した「野球新聞 西鉄ライオンズ」を発刊
昭和59年(1984)
1月3日 画像を拡大>>> 基満男選手を招いて新年会開催 12名参加
2月6日 西鉄ライオンズ初代監督でライオンズの基礎を作りリーグ優勝一回、 日本一に導くこと三回と多大な功績を残し、その後もプロ野球界の発展に尽くされた三原脩氏が死去された
西鉄ライオンズ研究会の最高顧問でもあった三原氏の自宅に会長、幹事が弔問に伺う
10月26日 基満男選手がこの日現役引退を発表
西鉄ライオンズ研究会は有志から募金を募り,勇姿と記録を刻んだ引退記念の銅盾を製作、基選手に贈呈する
11月30日 画像を拡大>>> 西鉄ライオンズOBが80名、平和台球場に集いバックスクリーンに飾られた三原監督の遺影の前で紅白に別れて追悼試合行う
西鉄ライオンズ研究会も20名が参加し球団旗を振って応援をする
「野球新聞 西鉄ライオンズ」も「巨星墜つ 三原魔術よ永遠に」と三原監督の追悼号を発刊
昭和60年(1985)
3月5日 FBS福岡放送から藤本義一氏司会の11PM「これがプロ野球のダイゴ味だ奇跡の逆転優勝を再現する」と題し 豊田、中西、稲尾の三氏を迎え全国放送される 西鉄ライオンズ研究会も15名を動員してスタジオで番組に参加
8月12日 平和台球場で行われた西鉄ライオンズOBとたけし軍団の親善野球大会を応援
昭和61年(1986)
福岡青年会議所の球団誘致運動に協力を求められ参加
パネルディスカッション 市内パレード 講演会等参加
福岡市内、西鉄久留米駅前にて署名活動
昭和62年(1987)
平和台球場で行われた西鉄ライオンズOB 対 柴田恭兵、仲村トオル+KBCラジオPAO〜N軍の親善野球大会を応援
平成4年(1992)
10月1日 西鉄ライオンズ、太平洋クラブライオンズ、クラウンライターライオンズが本拠地としてきた平和台球場がこの日プロ野球公式戦最後の日を迎える
福岡ダイエー(若田部)−近鉄(野茂)の熱戦を応援する
11月22日 平和台球場でのプロ野球公式戦終了を受けてTNCテレビ西日本の企画で西鉄ライオンズOB対巨人、南海との親善試合があり 西鉄ライオンズ研究会も一塁側から大声援を送る
平成8年(1997)
3月15日 昭和45年に起きた所謂 黒い霧事件で野球界を永久追放の処分をうけた元西鉄ライオンズのエース 池永正明さんの名誉回復と球界復帰の運動として署名活動を始める
この日は池永さんの地元である下関駅前で総勢10名で署名を集めた
6月5日 池永正明さんの名誉回復と球界復帰の署名運動を福岡天神で行う
球団歌のテープを流し大きな横断幕で大いに注目を浴び多くの署名を集めた
平成9年(1998)
11月3日 平和台球場の解体決定に伴い企画された さよなら平和台球場 西鉄ライオンズOB対パ・リーグOBオールスターの記念大会(毎日新聞主催)を応援
11月24日 画像を拡大>>> 平和台球場の解体決定に伴い企画された ありがとう さよなら平和台球場 西鉄ライオンズOB対プロ野球OBオールスター戦(西日本新聞主催)の球場観客席で池永正明さん名誉回復と球界復帰を願う署名活動を行う
野球ファン、西鉄ライオンズファンから多くの署名をいただく
その後 西鉄ライオンズの球団旗を振って手拍子を取って試合を応援
12月21日 元西鉄ライオンズのエース池永正明さんの名誉回復と球界復帰を願って集めた署名を持って東京の日本プロ野球コミッショナー事務局へ提出
多くの野球ファン 西鉄ライオンズファンの想いを伝える
平成12年(2000)
12月 下関を中心に始まった池永正明氏の復権を心から願う会の署名運動に協力
西鉄ライオンズ研究会もその組織力を駆使し全国から署名を集める
平成14年(2002)
3月3日 西鉄ライオンズOBの呼びかけで始まった平和台球場記念碑設立の募金運動
西鉄ライオンズ研究会も募金に協力してこの日中西、豊田、稲尾各氏はじめ多数のOBの出席のもと挙行された落成式に参加記念碑の完成を祝う
平成20年(2008)
福岡三越で行われた西鉄創立100周年記念イベント「よみがえる西鉄ライオンズ展」に資料提供の協力
平成21年(2009)
福岡市博物館で行われた 福岡市制施行120周年記念イベント「福岡近代絵巻」展の西鉄ライオンズコーナーに球団旗はじめ資料提供の協力
平成22年(2010)
3月21日 KBC九州朝日放送のテレビ番組「未来への羅針盤」の#11「野武士がいた街」に西鉄ライオンズ研究会も取材を受け10人が出演 この日放送される
4月24日 この日発売された博多人形師 上川俊之作 稲尾和久人形の製作に協力
平成23年(2011)
2月4日 西鉄ライオンズ研究会の組織の強化と永続性を求めるため かねてより申請中だった特定非営利活動法人=NPO法人が認可され新しい一歩を歩き始める
11月13日 稲尾和久投手の命日にゆかりの地をめぐる「別府ツアー」を開催                                                                 この模様はNHK,RKBのテレビ取材を受け、それぞれ夕方のニュースで放映される。
12月 西鉄ライオンズOB会の忘年会に参加
平成24年(2012)
                                                                                                                                 
1月 西鉄ライオンズOB会の新年会に参加
4月〜6月福岡市博物館での「栄光の西鉄ライオンズ展」(4/3〜6/3)へ資料提供の協力
7月〜9月王貞治ベースボールミュージアムでの「九州の野球歴史展」(7/3〜9/30)へ資料提供の協力
12月 西鉄ライオンズOB会の忘年会に参加
平成25年(2013)
1月 昭和プロ野球「球場」物語 (洋泉社MOOK) に資料提供
2月11日 島原キャンプ地めぐりツアーを開催。元国光屋旅館の鐘ヶ江管一氏と昼食会を行い貴重な話をいただく。
6月9日 第1回「福岡のライオンズを語る会」を開催(於:福岡市NPOボランティアセンター)。                                                                 元西鉄ライオンズスカウト部長の中島国彦氏に特別講演をお願いする。その講演内容は読売新聞に掲載された。